高校初めての夏。
もうすぐ吹奏楽部の全国大会。…合宿も控えているし、今年の夏は忙しくなりそう。
今日は私が食事当番。
スーパーで食材を買い揃え、真夏の暑い道を一人歩く。
「はぁ…坂道きっついなあ」
そう独り言を漏らしたら、不意に後ろから声がした。
「近藤さん」
「え?」
振り返ると、そこにいたのは東堂先輩だった。
そういえば、先輩のお家ってこの辺りだったんだっけ。
「手伝おうか?」
「え…いいんですか?」
「うん。それ持つよ、貸して」
「わぁ!ありがとうございます!」
私からひょいっと買い物袋を取り上げた東堂先輩が私の歩幅に合わせて、ゆっくりゆっくり坂を上る。
私やお姉が東堂先輩と並ぶと親子かと思うくらいに大きさが違う。
…その身長を5センチでいいから分けていただきたかった。
「東堂先輩、今日はバイトですか?」
「ああ、近藤さんは?制服着てるけど」
「私は吹奏楽部の練習で…」
「なるほどね…ん?」
「え?」
突然、後ろから坂を駆け上がる激しい足音がした。
次いで聞こえたのは…日常的によく聞くあの人の声。
「隙ありーーーーー!!!!」
「ぎゃあああ!!」
「きゃあ!東堂先輩!!!」
…お姉だった。
お姉の飛び蹴りを東堂先輩はまともに喰らった。
「よぉっす、二人とも」
「……近藤先輩」
「ちょっと!お姉!何するのよ!」
「いや、東堂がいたから挨拶してやろうと思って」
「飛び蹴りのどこが挨拶なのよ!もう、恥ずかしいからやめて!!」
「うっさいなあ…」
でも東堂先輩は大変不自然な体勢で転んだものの、何とか買い物袋をぶちまけないよう計らってくれたらしく中身は無事だった。
お蔭で助かった。
なんたってその袋には卵も入ってたんだから。
「…はぁ、先輩は中学からまったく変わりませんね」
「ちょっと!どういう意味よ!!」
「いい意味ですよ。はい、着きました」
家の前まで着くと東堂先輩が買い物袋をお姉に差し出した。
気のせいだろうか。
なんだか東堂先輩のお姉を見つめる目が、寂しい。
「……近藤先輩」
「ん?」
「…あ、いえ!なんでもないです。あー…それじゃ、俺はこれで。近藤さん、さよなら」
「あ!ありがとうございました!!」
手を振り別れて、私達は家に入った。
なんだかさっきの東堂先輩…様子がおかしかったな。
それはどうやら私だけの勘違いではなさそうだった。
「なぁんかさ、東堂変じゃなかった?」
「お姉もそう思う?」
「なんか変なもん食ったんかな」
「……お姉ってほんとデリカシー0よね」
「はぁ〜〜〜!!!!???」
東堂先輩の話題もそこそこに私達の話題は次第に別のものに移ってく。
絵美さんのことだ。
「え?じゃあ、今年は絵美さんと出かけたりしないの?」
「んー…忙しいんだってさ」
「まぁ、絵美さんみたいに一流大学進学目指してるなら当然か」
「だからってさぁ〜一日も遊ぶ余裕ないわけないのにぃ」
「いい加減絵美さん離れしなよ、お姉。それでなくてもあーんなに素敵な親友がいるってだけで奇跡なんだから」
絵美さんは学園でも一、二を争う才媛だ。
容姿端麗、成績優秀、品行方正、スポーツ万能。
おまけに人格は聖職者が裸足で逃げ出すほどの清廉潔白。
…そんな人が中学からずっと親友なんだから、お姉は贅沢ってもんだ。
なのにお姉ってば冷たい麦茶を呷りながら、まだブツブツ言ってる。
「え、吹奏楽部も合宿なの?」
「そ。でも、私にとってはただの合宿じゃないんだよねー」
「どゆこと?」
「だってー!秋月先輩と一週間も同じ屋根の下なんだもん♪ゆずる幸せすぎて怖い…」
「あっそ…あたしはあんたが怖いわ」
お姉はそう言うと結わい付けていた頭のお団子をほどく。
低い身長を気にして、中学の頃からずーっと頭のてっぺんに結わえたあの物体は今やお姉のトレードマークだ。
ほどいた髪はもう腰の長さまであって…ほどけばまだ女らしく見えるのにと私は一人ごちる。
「てかさ、秋月さんが好きだとか超不毛じゃんか。いい加減彼氏でも作れば?」
「余計なお世話ですーっ!絶対いや、男なんてお断り!」
「…あそ」
私はお姉と違って、無い物ねだりはしない。
自分の容姿が十人並みなことをよく理解しているし、低い身長や幼児体型を利用して自分を可愛く見せる術も知ってる。
お姉もそうすればいいのに…ガラじゃないとか鳥肌立つって言って、絶対にしない。
…まあ、たぶん見てくれだけどうにかしてもガサツな内面はどうしようもないだろうけど。
「彼氏とか人に言う余裕、お姉にはないんじゃないの?」
「う…うるさいなあ!あたしは受験生なの!忙しいの!恋は大学デビューしてからって決めてんの!」
「ふーん…」
嘘ばっかり。
「…ま、お姉がそう言うならそれでもいいけど」
お姉は…たぶん、設楽先輩のことが好きだ。
お姉の性格からして、絶対にそれを認めることはないだろう。
なんたって、お姉はずっと設楽先輩が嫌いだったんだから。
それが、今年に入って突然これだ。
今まで散々絵美さんのこと『趣味が悪い』とか『なんであんなのが好きなんだろ』とか言っちゃってたくせに。
自分まで好きになってちゃ世話ないよね。
絵美さんは絵美さんでお姉のこと見て見ぬふりだし…女の友情も男が絡めば終わりなのかな。
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